探見ウォーク 春の「山背古道」を歩く

話が前後しますが、ご了承を(ノ´∀`*)

4月15日(土)、ソメイヨシノが散って八重桜が最盛期になる山城の古道、山背(やましろ)古道をノル歩してきました!

棚倉駅集合

この日は曇りのない晴天!
気持ちもスカッ♪ハレ━━━━━━ヽ(゚`∀´゚)ノ━━━━━━!!!


スタート程なく、タケノコ市場の前を通過。
これがゴールだったら・・・・・・
間違いなく皆、買いに走っているだろうなぁ(笑)

道中に「たけのこ焼酎」の看板が。
チラチラ気になってしまうが、今、買うと歩くのが辛い・゚・(ノ∀`;)・゚・
なので、見るだけ・・・・・キョロ(・ω・三・ω・)キョロ


蟹満寺では境内をちょっと散策。
メインはヤマブキだから、ちょっとだけ立ち寄り。
このお寺は蟹の恩返し話がある。
日本では、こういった人と他の生物との関わりが恩返しの形で表されている。
それだけ生き物を大切にしてきたのだろうなぁ。


この地、山城(やましろ)の名前の由来について、
このルートを一緒に散策した時に高橋先生から聞いた話。
本来は山背(やましろ)だった。背=人の背は後ろにあたるので「うしろ」の意
つまり当時の都の背(後ろ)にあたる山々があったから、山背=山後ろが訛って「やましろ」となり、現代は山城の字が当てられたそうだ。


後白河天皇の第三皇子(兄の守覚法親王が仏門に入ったため第二皇子とされている)、以仁王の御墓とその皇子を祀った高倉神社を参拝。
歴史を知っておくと歩く時の感覚や楽しみ方も変わってくる。
ぜひ、事前に調べておくことをオススメ〜d(ゝC_・o)☆


さて、山背古道に欠かせないのが、天平時代の左大臣橘諸兄」公。井手町に別荘を構え住んでいた。その別荘跡地を訪れ、当時の景色がどんなものだったのか・・・・・そんな創造をしてみたり♪

そこからようやくランチポイントへ。

自然休養村管理センター山吹ふれあいセンターで昼休憩!
センター内でも食事がOK。しかも無料でお茶がもらえます。
とても親切な場所でした。

お腹も満腹になったら、再スタート!


井手町の玉川堤をノル歩♪
橘諸兄が氏寺の井堤寺(いでじ)をつくり、寺の庭だけでなく玉川の堤にも山吹を植えた。天平以来、古歌に詠われてきた。
藤原俊成新古今集で詠んだ「駒とめてなほ水かはん山吹の花の露そふ井手の玉川」としても有名。この玉川は、歌枕に使われる六玉川(むたがわ)の一つとして知られ、古い時代から山吹の花の名所だ。毎年春には堤一帯に約5000本の山吹が一斉に咲き誇る。


この時は山吹は満開ではなかったけど、八重桜との色のコントラストが楽しめ、歩く参加者もテンションUP!
ヽ(゚∀゚)メ(゚∀゚)メ(゚∀゚)ノ

気持ちよさが皆さんの笑顔で伝わってきます♪
♪ヘ(^ω^ヘ)(ノ^ω^)ノ♪


玉川から蛙塚へ。
井手を歌った和歌の中でも蛙に関するものは83首。古来より井手は山吹とともに「蛙」の名所としても知られていたようだ。


蛙塚から、晩年に小野小町も住んでいた橘諸兄の氏寺でもあった井手寺阯を通過。この寺はかなり大きな敷地を持っていたらしい。


小野小町の墓と云われているところまで、その寺の所有地だったのだろう。
小野小町については各地に諸説あるけど、「冷泉家記」に「小町69歳井手寺において死す」、「百人一首抄」にも「小野小町のおはりける所は山城の井手の里なりとなん」とある。どうやら有力なのはこの墓かな?

小野小町の墓からゴールへと途中休憩をとり、古道を下っていく。


ゴールの山城多賀駅でクールダウン。そして解散。
そして有志でちょっと離れたところにある直売所で買い物をして帰る。
(*´▽`)*´▽`)*´▽`)ノ

一日充実した気持ちのよい探見ウォークでした♪

ご参加くださった皆さま!
お疲れ様でした♪

また、楽しそうな散策路を探さないとね ヾ(ゝω・`)


Writer:若ぼん